全国屈指の温泉地、湯布院。
由布岳の麓に、豊の国名水15選にも選ばれる「宮川滝の口」の湧水が湧き出る地に養魚場はあります。



澄んだ水が絶えず流れるその場所で、後藤良二さんは今日も鮎と向き合っています。
後藤さんは、父が始めた養魚場を受け継いだ二代目。この場所で育てているのが、後藤養魚場のブランド鮎「銀鱗鮎」です。

しかし、その歩みは決して順風満帆ではありませんでした。
私たちは今回、由布院で銀鱗鮎を育てる後藤養魚場を訪ね、その歩みと想いを伺いました。
養魚場を継いでから、試練は続いた

父から養魚場を受け継ぎ、およそ10年。その間、後藤さんには幾度も試練が訪れます。
2020年には、新型コロナウイルスの影響で販路が大きく減少。
ようやく前を向き始めた2023年には、九州北部豪雨で発生した土砂災害で養殖池の約7割が流されました。
再建を果たした翌年には、病気によって鮎が全滅。
積み重ねてきた努力が、一瞬で失われてしまいました。

「もう無理かもしれない。」
そう思ったことは、一度や二度ではなかったといいます。
涙が止まらなかった日々

食事中に突然涙があふれる。車を運転していても涙が止まらない。眠れない夜は、薬に頼ることもあったといいます。
先の見えない毎日。それでも後藤さんは、養魚場を離れることはありませんでした。
もう一度、鮎と向き合う。もう一度、銀鱗鮎を届ける。その気持ちで、日々を積み重ねてきました。
自分を変えた「習慣」
「それでも諦めなかった理由は何ですか。」
そう尋ねると、後藤さんは過去の自分の話をしてくださいました。
かつては酒やタバコに依存し、自分自身を「ダメ人間だった」と振り返ります。38歳のとき、体を壊して倒れたことをきっかけに、こう決意しました。
「どうせ依存するなら、筋トレに依存しよう。」
以来8年間。週6日の筋力トレーニングを欠かさず続けています。その積み重ねが、心を折らずに前へ進む力になったといいます。

後藤養魚場では、養殖池にカメラを設置し、24時間体制で鮎の様子を確認しています。
水温や水質、酸素濃度、餌の量などを細かく見ながら、その日の状態に合わせて管理を続けています。

中でも印象的だったのが、餌づくりへの考え方でした。
後藤さんは、筋力トレーニングを続ける中で、体づくりには栄養が欠かせないことを学んできました。タンパク質、ビタミン、ミネラル。何を食べるかで、体の状態は変わる。
その感覚は、鮎の餌にも生かされています。
鮎にとって、どんな栄養が必要なのか。どうすれば、より健康に育つのか。後藤さんは、自分自身の体づくりで得た知識も重ねながら、餌の配合や与え方を考えています。
自分の体と向き合うことが、鮎と向き合うことにもつながっている。
後藤さんの中にある「続ける力」と「整える力」が、銀鱗鮎を育てる日々を支えています。
料理人の一言が、一番のやりがい

後藤さんにとって、一番うれしい言葉は何ですか。その問いに返ってきた答えは、
「料理人から褒められること。」
料理人は、素材を知り尽くしたプロ。その料理人が「この鮎はいい」と言ってくれることが、何よりの励みになるそうです。そして、その言葉の先には、料理を口にするお客様の笑顔があります。だからこそ、一匹一匹に妥協はできません。
銀鱗鮎という名前には、料理人にも認められる鮎を育てたいという想いが込められています。
「湯布院の鮎といえば、銀鱗鮎」と呼ばれるブランドへ

後藤さんには夢があります。
「湯布院の鮎といえば、銀鱗鮎。」
そう呼ばれるブランドを育て、全国へ広めていくこと。さらに将来は、ウナギ養殖にも挑戦したいと話します。
幾度となく立ち上がり、挑戦を続けてきた後藤さん。銀鱗鮎の物語は、これからも続いていきます。
オシチョクおおいたより
私たちが後藤さんを訪ねて感じたのは、「鮎を育てている人」というより、「何度転んでも立ち上がり挑戦する人」でした。
目の前の困難から逃げず、昨日より良い鮎を育てるために、一日一日を積み重ねる。その姿勢に、私たちは心を惹かれました。
後藤さんが育てる銀鱗鮎は、旬の時期には活き鮎として、冬には丁寧に炊き上げた甘露煮としてお届けしています。湯布院の豊かな水と、何度でも挑戦を続ける作り手の想いを、ぜひ味わってみてください。

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湯布院銀鱗鮎(活き鮎)
湯布院の湧水で育った湯布院銀鱗鮎。
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